— 大学在学中に上梓した『五体不満足』が600万部の大ベストセラーとなりました。執筆のきっかけを教えてください。

 地元の商店会の方たちと一緒にまちづくり活動をしていた様子が新聞やテレビで取り上げられて、それを見た出版社の方が「本を書かないか」と電話をくださったんです。最初は迷うところもありましたが、障害者=不幸な人、かわいそうな人という見られ方が多いなか、「いや、そうでない人間もいるよ」ということで自分の半生を紹介できればと思い、本を書かせていただきました。

— 卒業後にスポーツライターという職業を選んだのはなぜですか?

 『五体不満足』が多くの方に読んでいただけたこともあり、障害者福祉の活動を期待してくださる声は多かったんですが、「やっぱり障害者は福祉の道にしか進めないんだ」と、かえって固定観念を強めてしまうのではないかと。周囲の皆さんが意外に思う分野で一人前の活躍をするほうが、真の意味でのバリアフリーにつながるんじゃないかと思ったんです。
 今から25年ほど前で、当時はまだパラリンピックがほとんど普及しておらず、障害とスポーツの組み合わせは良い意味で意外性がありました。ただ単に意外性を求めたわけではなく、私自身が体を動かすことも観戦するのも好きで、スポーツに親しんでいたという部分も大きかったです。

— 作家、スポーツライター、教員、キャスターなど、境界を超えてさまざまなチャレンジを続ける、その原動力はどこから来るのでしょうか?

 モチベーションのひとつには、なるべく多くの山に旗を立てておきたいという思いがあって。障害がある、車椅子に乗っているというだけで、門前払いされてしまう業種って非常に多いんです。それに対して、「過去にこの仕事に就いた人がいるからできるかもしれないよ」と、次世代の障害者の方たちに伝えられる分野をできるだけ増やしておきたいと考えています。
 また、私自身が「多様性」をメインに活動していくなかで、いろいろなことにチャレンジしてメッセージを届けるためのチャンネルが多ければ多いほど、それを受け取ってくださる方の数も増えていくと思いますし。

— 今年開催された東京パラリンピックは、まさにダイバーシティを象徴するものでした。日本のダイバーシティの現状をどのようにお考えですか?

 最近よく語られる「ダイバーシティ&インクルージョン」。ふたつの言葉を並べると同じような意味合いに取られてしまいがちですが、私としてはしっかりと分けていく必要があると思います。「多様性」を意味する「ダイバーシティ」は、「ひとりひとり違いがあるよね、その違いを認めていくことは大事だよね」という価値観、考え方の部分。これについてはこの5年、10年でだいぶ理解されてきたのではないでしょうか。
 一方、「インクルージョン」は日本語にすると「包摂」ですが、違いがあることで後回しにされたり排除されてきた人たちをしっかりと受け止めていこうということ。「ダイバーシティ」でいろんな人がいると理解はできるようになったものの、そうした違いがある人をどうやって受け入れていくかという実践の部分、そこがまだできていない、次のステップには移れていない印象ですね。

— 出演映画『だいじょうぶ3組』では小学校教員としての経験が描かれています。子どもたちが日常的に障害者と接する機会も大事ですね。

 その通りです。ダイバーシティ&インクルージョンを進めるうえで、何よりも重要なのは想像力です。自分が見えている景色と、同じ景色を見ているはずなのに違うように映っている人がいっぱいいるということを、どれだけ想像できるかが大事だと思う。でもやっぱり人間の想像力というのは限界があるので、なるべく違いのある人と触れ合うこと。子どものうちからそういう経験、時間をともにすることは非常に大切です。そこからイマジネーションが大きく育っていくと思います。

— 教育現場での活動も積極的ですね。コロナ禍でどのような影響を受けましたか?

 私の活動の柱のひとつが、大学や小中高校など全国を飛び回っての講演だったので、この1年半そうしたことがほとんどできなかったのは大きな変化でした。
 ただそれ以上に強く感じたのは、今回コロナで多くの方が遭遇した困難というのは、実は以前からマイノリティが直面していた困難だということです。たとえば私のような車椅子ユーザーや視覚障害の方が、毎朝の満員電車で通勤するのは至難の技です。あるいは不登校や長期入院中のお子さんは、毎日学校で授業を受けることができなかった。また車椅子で外食しようにも対応している飲食店は限られますし、休日にお芝居を観たりアーティストのライブを聴きたくても、小さな劇場やライブハウスはほとんど車椅子で入れなかったんですね。こうした不便や困りごとを改善してほしいと、我々マイノリティ当事者がどんなに声を上げてもなかなか耳を傾けてもらえなかった。
 ところが今回のコロナ禍で、リモートワークを進めよう、オンライン教育が有用だ、飲食店はテイクアウトやデリバリーを充実させよう、無観客のオンライン配信をしようと、一気に解決策ができたんですよ。これは大変ありがたいと同時に、マジョリティが同じ困難に直面するとこれほど簡単に変わるんだっていうのは、嬉しさ半分、悔しさ半分が正直なところです。
 いずれコロナが収束して皆さんがまた日常生活に戻ったとしても、その日常に戻れない人たちもいるんだ、ということはぜひ心に留めておいていただきたい。期せずして重視されたリモートワークやオンライン教育、デリバリーやテイクアウト、オンライン配信、これらがなければ商品やサービスにアクセスできない人のためにオプションのシステムとして残してほしい。マイノリティにも働くこと、学ぶこと、ご飯を食べにいくこと、趣味を楽しむことが必須で、ここから取り残されてきた人をしっかり包摂すること。まさにそれがインクルージョンだと思うんですよね。

— バリアフリーを進めるうえで大事な「意識」と「制度」に加えて、ここ数年は「テクノロジー」に注目しているとか。2018年にスタートしたロボット義足歩行の「OTOTAKE PROJECT」について教えてください。

 1年間かけて10メートル歩くことができた時には、チームで嬉しくて号泣しました。今のところやればやれるだけ記録が伸びて、70メートルくらい歩けるようになったので、どのへんまでを目標にしたらいいのか辞め時を見失っているところで。我々みんなが「これ以上やってももう伸びないかもしれない」と思えるところまでやりきりたいなと。ただ私も45歳なので、体力の限界が近づいているとは感じています。
 私は幼少期から電動車椅子を使っていて、今後ロボット義足でかなり歩けるようになったとしても、おそらく日常生活のベースは車椅子だと思うんですね。では何のためにやっているかというと、私の場合は生まれつきこの体なので二足歩行への憧れは特にないんですが、事故や病気による中途障害の方は、やはりもう一度自分の足で歩けるようになりたいという方が多いらしいんです。そうした方のために、両足を膝から失っても義足で歩くことができるんだという可能性、選択肢を後世に残しておきたいと考えて、プロジェクトメンバーと一緒に頑張っています。

— ほかの障害者のためにというのは、パイオニアとして多くの山に旗を立てたいという気持ちとつながっていますね。

 今この社会に障害者が生きやすい環境をつくってくださったのは、お名前も顔もわからない先人たちの活動があったおかげで、私はそういう方々に感謝の思いがすごくあります。逆に今度は30年後、50年後の社会に生きる車椅子ユーザー、障害者、マイノリティの当事者が、少しは生きやすい社会になったなと思えるように、そこに力を尽くしていくことが私自身の幸せだと思うんです。

— 希望を感じるお話ですが、どんな未来が見えていますか?

 『五体不満足』を出した20年以上前に比べれば、かなりボーダーレス社会へ進展してきたと思います。ただし私のようにパッと見てわかりやすい違いを抱えた人には理解が生まれやすいですが、たとえば発達障害やLGBTQなど見た目ではわかりにくい違いを抱える方に対しての理解や対応には、まだまだ大きな課題があると感じます。ですから、私がやるべきことも尽きることはなく、おそらく自分の人生を終えるまでやり遂げた、やり終えた、と思えることはないんだろうなと。そういう意味では、生きている間になるべく時計の針を進めて、次の世代にバトンタッチするのが私の役割だと思っています。

Profile

作家

乙武 洋匡さん

Hirotada Ototake

1976年、東京都出身。先天性四肢欠損により、幼少時より電動車椅子にて生活。大学在学中に著した『五体不満足』が600万部を超すベストセラーに。海外でも翻訳される。大学卒業後はスポーツライターとして活躍した後、小学校教師として教育活動に尽力する。ニュース番組でMCを務めるなど、日本のダイバーシティ分野におけるオピニオンリーダーとして活動している。

Information

乙武洋匡氏が「すべての人に平等なチャンスと選択肢が与えられる社会」を実現するため、日々メッセージを発信しています。ぜひご登録ください。

●YouTubeチャンネル『乙武洋匡の情熱教室 - Limitless OTO』
https://www.youtube.com/channel/UCdclFGt02DO2DfjM_KCtT8w

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